chroma;chrono
花香を音楽に
(1) 花香を用いて音楽を生み出す作品です。高精度の機械で花の香りの成分を測定し、得ら れた各成分の特徴をプログラムに変換します。プログラムは、微生物のように振る舞 い、群れとなり、互いに反応を繰り返しながら全体としては時と共に移ろう音楽を奏で ていきます。
(2) 作品で使用されたのは「Hoya cumingiana (ホヤ クミンギアナ)」と呼ばれる、ボルネ オなどに分布するキョウチクトウ科の植物です。現地では、大木の幹や梢に着生し、垂 れるように枝葉を伸ばす半つる性の生活を送ります。黄緑と臙脂色の星が重なる形をし た花は軽やかなようで苦みもある複雑な匂いを放ちます。この匂いにはどのような動物 が誘い寄せられるのか、まだ誰も知りません。
(3) 1939年に建築された植物園本館は、現在まで東京大学の植物学研究者の第一線となって います。本作では「ガスクロマトグラフィー質量分析計」と呼ばれる高精度の装置で花 香の成分と量を正確に分析し、そのデータから音楽を紡ぐという試みです(実際の装置 は、会場左側のドアの隙間から、覗き見ることができます)。
(4) 香りのデータを音に変換し、機械的に鳴らすだけでは音楽は生まれません。植物園に広 がる植生のように互いに絡み合い、意味なく奏でられる音がひとつもなく次の音に連鎖 していく音楽は可能でしょうか。植物は無秩序に広がっているように見えて、実は種毎 に”niche”(ニッチ)と呼ばれる、それぞれの生息空間を持っており、それらが有機的なパ ズルのように関連し合う形で植生が広がっています。香りのミクロなデータを音に変換 した上で、生物のマクロにおけるこの連環を体現する音楽。ミクロとマクロをつなぐ音 楽とはどのように体現され得るのでしょうか。
(5) 本作ではエージェントという、音を奏でる微生物のような存在をプログラムし、香りの 各成分を表現しました。エージェントは各成分の香りの印象を音として、量を個体の数 として象徴しています。互いに自らのテリトリーを守るように振る舞い、相手に反応す る際に音を奏でます。ある個体に反応しエージェントが移動した際に、さらに別のエー ジェントと出会うことで、音が連鎖したり、時に無音になったりします。
(6) それは、音と音が生命として連なり、時として凪ぐ、「音が連鎖・連環する場 (Sonotope)」による音楽です。外の植物園で聞こえてくる、葉擦れや虫、風といった 音も同様の連鎖によって紡がれ、連なり、層を成し、時に凪ぎます。貴方が本館の外に 出た時、この音楽は続いているでしょうか。
Location Recording 2023-09-02
@ Basement of the Main building GC-MS laboratory
Soundtrack
H.cumingiana について
サクララン属Hoyaは553種がアジア・オーストラリアに分布する 着生性の植物で、西洋では古くから室内園芸として人気がありま した。サクララン属は膨大な種と多様な花形質を有するため、 花の成り立ちを理解するのに好適な分類群ですが、花の進化に 重要な影響を及ぼす受粉動物(送粉者)との関りはほとんど研 究されておらず、553種中3種のみしかわかっていません。 サクララン属の植物はさわやかな匂い、甘い匂いなど多種多様 で、様々な送粉動物との関りが想像されます。クミンギアナの匂 いはピネンやオシメン、カリオフィレンといったテルペン類が リッチなので、生育地では、ミツバチやハリナシバチなどのハナ バチ類が花を訪れているのかもしれません。ぜひ現地で観察して みたいですね。
ガスクロマトグラフィー質量分析計(GC/MS)について
ガスクロマトグラフィー質量分析計(GC/MS)は揮発性成分を 分析するための機器です。数十メートルある細いカラムに通す ことで成分を一つずつ分離するクロマトグラフィー部(GC) と、GCで分離された成分に電子ビームを照射してイオン化し、 その質量を測定する質量分析計(MS)に分かれます。 環境測定やビールの香り成分の分析など、実に様々なシーンで 利用されていますが、植物学での利用はそこまで普及していま せん。特に、花の匂い成分はほとんどの植物で明らかでなく、 身近な植物においても調べるほどに新しい発見があります。小 石川植物園では、サクララン属はもちろん、日本の植物でも研 究を行っています。
マルチエージェントシステムについて
プログラミングや人間社会では、大統領や社長のような命令を下す存在が部下のような下部構造に指示 を下す、中央集権的な構造がよく用いられます。一方、マルチエージェントシステム(MAS)では、エー ジェントと呼ばれる独立して振る舞う小さな存在を複数用意します。それらが状況に合わせて競合した り協調することで、全体として柔軟な動作を得ます。こちらはより自然や生物に近い構造で、揺らぎや 移ろいといったものの表現に適しています。今回は、分析で得られた香り成分の個々の印象を音響に変 換し、それらを捕食/被捕食といった関係で結ぶことで各成分の音の強弱が変化し、時に凪ぐ、生態系 のような音楽を試みました。ー Reference Movie : https://bit.ly/2ymKkz3
Sonir(Yuta Uozumi, a.k.a. SjQ):サウンド、アートとメディア技術を組み合わせた創作、メタコンポジション/システムアートの研究を続けている。ニューヨーク電子音楽祭、バルセロナ、コペンハーゲンなど、海外で公演。2013年、プロジェクト「SjQ++」が、メディアアートの国際的アワード、アルス・エレクトロニカ・デジタル・ミュージック部門で準グランプリ(Award of Distinction)受賞。sonir.jp
X (twitter) : @sonir
Researcher:望月 昂:博士(理学)。植物の生態と進化に関する研究。特に、花とそれを受粉する送粉者の関係性が花の進化に及ぼす影響の評価や、未知の送粉 系の発見に心血を注ぐ。これまでに、キノコバ エ媒送粉シンドロームの発見、サクララン属のガ媒の発見など。好きな植物はガガイモ亜科と アオギリ亜科。https://sites.google.com/view/ko-mochizuki-website/
X (twitter): @kino_cco330